「生きる」「死ぬ」とは(5分)

哲学

前置き

今日は、どういう風に生きて、どういう風に死んでいくか。

どういったマインドで日々を過ごし、どういったマインドで死と向き合うか。

つまり、「生きる」「死ぬ」について記事にします。

皆さんの中に、毎日をだらだらと過ごしている人はいませんか?

仕事で頭がいっぱいになっている「社畜の方々」は生きてると言えますか?

生活費はかからないけど、いつまでも親離れができない「子どもおじさん」は生きてると言えますか?

そもそも「生きる」とは、何でしょうか。

反対に「死ぬ」とは、どういったものでしょうか。

そういった感じで、僕の個人的な考えをお話しします。

はじめにお伝えしなければならないのですが、この記事を読んだからといって、死が怖くなくなる訳ではないです。

解決方法はここにはないです。死ぬという事実については、ひとつの考え方を文章にしています。

しかし、1人の人間が本気で「生きること」や「死ぬこと」について考え、偉そうに語ってみたので、たった数分だけこの記事に人生を費やして貰えればと思います。

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そしてもう一つ、僕はこれといった宗教に入っていないですし、多分一般的な日本人です。

父親の家系はキリスト教徒で、母親の家系は仏教徒です。

なので僕は、血統的にはサラブレッドになります。

小さな頃からお腹が痛くなると適当に空を見上げて「神様助けて😂😂😂」とお願いしていました。

ブッダイエスも困っていたと思います。

話を戻しますが、両親はあまり宗教に熱心ではないです。

怖がられては困るので前置きとさせていただきましたが、決して宗教を否定しているわけではないです。

宗教

僕は今英語を勉強していますが、先生はチュニジア人でイスラム教徒です。

そして、彼女は僕の大切な友達でもあります。

彼女は、好奇心旺盛な僕の頼みに応えて、よくイスラムについて話をしてくれました。

そして、仏教とキリスト教のサラブレッドである僕は、そのイスラムの教えにとても感銘を受けました。

もはやトリプルコンボです。

宗教界のキマイラこと僕の言葉にはなりますが、もし、すがるものがあれば死への恐怖が落ち着くと考える人は、何かしらの宗教に入ることをお勧めします。

僕は、宗教を信じていません。

しかし、先程お伝えしたように僕は好奇心が旺盛なので、これまで様々な宗教についての話を聞いてきました。

そして、そのどれもが僕の中での答えにはなりませんでした。

これは個人的な意見が強いと思いますが、多分、どの宗教家も答えは見つけていないんじゃないかと思います。

なぜそう思うのかというと、死に答えはないと思うからです。

ですので、僕も答えを見つけていません。

たくさん調べ、悩んだのですが。

しかし、これからもその答えは多分見つからないということは分かってきました。

芸能人だって、大統領だって、偉人だって、全ての人は例外なく死んできたし、これからもしばらくは死に続けます。

怖いのは僕だけではないんです。

そう考え、孤独じゃないと思い、安心しようとしたんですが、なんの解決にもなりませんでした。

怖いものは怖いです(この恐怖心こそが宗教の原動力です。)

そろそろ本題に入ろうと思います。

死とは

まず、とはどういう状態なのでしょうか。

僕の考える「」とは、選択肢がないことです。

これ以上何もできない何も選べないなにも考えられない状態のことです。

それがこの先永遠に続くということ。そして、死に終わりはないということです。

あくまで僕の考えですが、こんな感じだと思います。

そう考えるとめっちゃ怖いですよね。

いつか死ぬこと」「死の恐怖は取り除けないこと」に関しては、仕方ないと受け入れるしかありません。

生とは

それでは反対に、とはどういう状態なのでしょうか。

僕の考える「」とは、自由なことです。

言い方を変えると、人生を選べることです。

選ぶ選ばないではなくて、選べるかどうかです。

今の僕は、進む方向を選べるから幸せです。

今の仕事を続けることも出来ます。

退職して自由に生きることも出来ます。

外国人と友達になって英語を教えてもらうことも出来ます。

暗号通貨をすることもできるけど、ギャンブルだと思うならしないことも選べます。

じゃあ、選べない人はどんな人か考えてみます。

一つ注意しておくと、頭が悪いからといって人生を選べない訳ではありません。

今の世の中、選択肢なんて山ほどあります。

それでは、人生を選べない人とはどんな人でしょうか?

選べない人

それは、考えない人。

挑戦しない人。

努力しない人。

学ばない人。

そして極論は、死んでいる人です。

死人は、最も何も選べない人だと思います。

そう考えると、生きるか死ぬかは年齢が関係している訳ではないことが分かります。

おじさんになっても若々しい人もいるし、若くして死にかけてる人もいます。

自分探しの旅に出たからといって、生きてるとは限りません。

旅をすることをゴールにしてしまい、何も考えずに何も努力せずに日々を過ごしてると、それは殆ど死んでるのと同じです。

住む場所が違うだけです。

まとめ

今日、僕がこうして「生死」について記事にしようと思ったのは、「物事を白か黒かで考えるのはやめた方がいい」と思ったからです。

これは、全てに当てはめる事ができます。

生死はもちろん、人間関係仕事人種性別政治宗教趣味聴く音楽菜食主義環境問題など、何でもそうですが、白黒で考えるのではなく、グレーもあっていいんだって思うようにします。

」と「」でしか考えられないから、他人に納得できずに争いが生まれるんです。

」と「」でしか考えられないから、答えのない問題にもいつまでも悩むんです。

グレー」があったって良いんです。

そっちの方が「平和」で「柔軟」で「」です。

何事も考え方次第です。

僕は、今の仕事を辞めると決める時まで、死んでいました。

生き返り、自分のこれまでの人生を見つめ直しました。

これじゃダメだと思いました。

歳をとるのは簡単です。

大事なのはどのように歳をとるかです。

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